神に明け渡す(服従する)− なぜ最善の選択肢なのか
では、神に明け渡すとはどんな意味ですか? もし私たちが既に失敗したのなら今から神の方法を選択してどうなるのですか? 福音は、私たちの住んでいる世界がやがて消滅すると言っているからです。神は御自分の創造を愛しており、私たちを永遠にパラダイスから追放したわけではありません。神は続けて私たちに選択の意思を与えてくださっています。罪の結果、私たちの回りの世界は苦しんでいます、しかしひとりひとり‐‐あなたと私、全員が生きている限り神にすべてを明け渡す(降伏する)チャンスに遭遇し選び取りの機会が与えられているのです。
神に明け渡す(服従する)−何にしがみ付いているのですか?
アダムとイブの話を思い出してみましょう。もし彼らが自分の願望と蛇(イザヤ書14章の説明、高慢の犠牲となって落とされたエンゼルだったルシファーで、今日悪魔として認識されている)に耳を傾けず神に服従していたなら、この世界に影響する苦しみはなかったかも知れません。神は私たちに最善を与えたいと望んでいます。ですから最善を得るためには自己の願望と“権利”を神に明け渡さなければなりません。
今日のあなたの願はなんですか? 心の奥底で、すべてを神に明け渡すのが最善であると知っていながら、なんの“特権”にしがみついているのですか? あなたの心の奥の囁きは、神がアダムとイブに与えられたと同じ選び取りの声ですか? 私たちが従順と服従を選び取るようにと、神は肉体のイエス・キリストになられました。神は私たちを愛しています。生きた手本となるために、神の特権を明け渡して、私たちと同じ肉体となられ(ヨハネ3)、荒野で悪魔の誘惑にあったときも神としての特権を明け渡し(マタイ4)人類が拒絶した神の裁きから私たちを贖うため、完全で傷もしみもない御自分の肉体をささげたのです。イエスの故に、あなたも私もまたすべての人は、ただ彼を信じて神のことばに従うだけでよいのです。
神に明け渡す(服従する)‐日々の選び取り
日々の生活のなかで神の命令に従いすべてを委ねるなら、神はあなたを溢れるばかに祝福してくださいます。自分のものだと思い込み、こうしなければダメだと言う思いにしがみついて、幸せを味わっている期間は;一時的にストレスと強い欲望から解放されるかも知れません。しかしその後の末路はどうなるでしょうか? 束の間の望みを満足させたいと思っているのに、先のことを考えるのは難しいでしょうか、しかしダイエットをしている人は、消えてなくなるものを望むのは常に一時的であると知っています。しかし神にすべてを明け渡すなら、キリストの故に、いかなる要塞をも崩す事が出来るのです。今そうしたくないと感じても、神に従ってみませんか、そして神に服従しなければ得ることのできない本物で永遠の喜びを発見しましょう。
私と同じように、あなにとっても“欲望”と“権利”を明け渡すのはとても難しいことでしょう。アイスクリームが食べたい、今直ぐ食べたい!と強い欲望が生じます、しかしダイエットを続けなければならない私は、自分の欲望を克服しなければ、長い間には望まれない結果を生み出すことも知っています。神は私たちの世界をデザインされました、もしそれを見たいと望むなら霊的な原則はたびたび肉体にも反映するのです。あなた自身の思いより神の方法を望んでいるなら、あなたが誘い込まれているその願望を神に知ってもらいましょう。イエスを信じたときの恵みによる救いとは違い、神に明け渡すのはプロセスを踏んだ決断です。神の方法を吸い込んで自分の方法を吐き出す深呼吸をしてください。神にすべてを明け渡せば、今喜びを感じなくてもいつかきっとそれを発見するでしょう。
神と共にもっと深く学びましょう!